残暑お見舞い
申し上げます
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お変わりございませんか。
梅雨明けを宣言した途端、真夏日、猛暑日が続いております。
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熱中症や虫刺され、食中毒などに注意しながら、これからの暑さ厳しい盛夏を元気に乗り切りましょう。
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今日は『ありがとう』という言葉について
ネット掲載を見る機会がありましたのでご紹介をいたします。
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『ありがとう』 は、ふつう
プレゼントありがとう、
やさしい笑顔をありがとう、
おいしい食事をありがとう、というように
何かに対し感謝の気持ちを込め、お礼として自然に発する言葉と思っていましたが…。
『ありがとう』は漢字で書くと『有り難(う)し』と書きます。
有り難し、とは「有ること」が「難(かた)い」、これは
存在することが難しいという意味で、
「めったにない」「珍しい」「貴重である」ことを
表しているそうです。
最古の仏教経典とされる
『法句経(ほっくきょう)』の
「ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、 生命あるもありがたし」が
人間として生まれてくることは難しいことであり、そして又、
たとえ生を受けてもいつか死ぬことが約束されているのに、
“いま”こうして生命があることは本当に有り難いことです。
出典であるといわれます。
「今、ここにこうして生きているということは、
どんなに難しいことか!」と、
人間として生まれた 生命の驚きについての教説とのことです。
このようなお話しがあります。
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『盲亀浮木の譬(もうきふぼくのたとえ)』
お釈迦様がある時、阿難(あなん)というお弟子に
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねられました。
「たいへん、よろこんでおります」
阿難がそう答えると、お釈迦様が
「では、どれくらい喜んでいるか?」
と重ねて尋ねると、阿難は答えに窮しました。
するとお釈迦様は、一つの例え話をされました。
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。
その亀は、百年に一度、海面に顔を出す。
広い海には一本の丸太が浮いている。
その丸太の真ん中には、小さな穴がある。
丸太は、風に吹かれるまま、波に揺られるまま、
西へ東へ、南へ北へ、と漂っている。
阿難よ、百年に一度浮かび上がるその目の見えない亀が、
浮かび上がった拍子に、丸太の穴に、
ひょいと頭を入れることがあると思うか」
阿難は驚いて、答えます。
「お釈迦様、そのようなことは、とても考えられません」
「絶対にない、といい切れるか?」
お釈迦様が念を押されると、
「何億年、何兆年の間には、ひょっとしたら頭を入れる
ことがあるかもしれません。
しかし、『ない』といってもいいくらい
難しいことです」
阿難が答えると、お釈迦様は、
「ところが、阿難よ、私たち人間が生まれることは、
その亀が、丸太棒の穴に首を入れることがあるよりも、
難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」と、
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私たちは
当たり前のように呼吸をし、
当たり前のように物をつかみ、
当たり前のように音を楽しみ
当たり前のように 行きたい所へ行きますが
これが『奇跡』なのだという。
そうそう、
『ありがとう』の反対言葉は、実は
『当たり前』。
『ごめんなさい』と思う方が多いでしょうが、
本来の意味の『有り難し』から考えるとそれとの違いがわかります。
『当たり前』『当然』、それが『ありがとう』の 反対言葉なのですね。
今あるすべてのことは『当たり前』ではなく
『奇跡』であると思って過ごすと
毎日の小さな出来事にも 幸せな気持ちになります。
『ありがとう』の動画がありました。
どうぞ、ご覧ください。
花野井薬局