こんにちは。
昨夜は小さな台風が通り過ぎたかのような横殴りの雨と激しい風が吹き荒れました。
さぞかし、桜の花も満開になる前に散ってしまうだろうと思いきや、3~4分咲だったためか、なんと、昨日よりも花を大きく膨らませ元気な姿を見せてくれたではありませんか。
桜の花を散り乱すほどの強い風は「花嵐」といわれますが、風に舞う桜吹雪は儚くも美しい反面、人の心を舞乱すことさえあるという。
ところで、
春。花。そして桜。
花霞、桜満開、花吹雪、花いかだ、花冷え、花の浮橋、花ぐもり、桜流し…。
日本では、桜と言えばソメイヨシノが有名です。
でも、600種類以上もある桜のなかには聞いたこともない名前はもちろん珍しい品種があるとのこと。
今回は、その珍しい桜にまつわるお話をチョコット再び…。
<1>御衣黄桜
和名:ギョイコウ(御衣黄桜)
学名:Cerasus lannesiana ‘Gioiko’
ギョイコウの咲き初めは緑色で、葉と区別がつきにくく目立たない珍しい神秘的な緑の桜。
名前の由来がきれいなそして高貴な貴族の衣裳の萌黄色(もえぎいろ)に近いためこのような名前がついたといわれています。大変貴重な品種とのことです。
御衣黄桜の花言葉は「永遠優美」。なんとも美しい花言葉です。
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.<2>宗堂桜
和名:ソウドウザクラ(宗堂桜)
学名:Cerasus jamazakura ‘ Soudou-zakura’
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岡山県指定天然記念物で指定名は「宗堂の桜(そうどうのさくら)」。
実はこの桜には悲しい伝説があるようです。
寛永の頃、宗堂山の麓には宗堂山妙泉寺(永禄11年建立)がありました。
この寺の八世住職は日奥聖人直弟子の若い僧「雲哲日鏡」で大変花好きといわれ、寺の参道に数10本の八重桜を植えていました。
雲哲は宗堂山の里をこよなく愛し、また人々にも慕われ農家にとっても生き仏以上の存在となり、相談も多く霊験あらたかな上人様でした。
しかし、上人は岡山藩から弾圧されていた不受不施派(日蓮宗の一派)でしたので御殿様に毒を盛られるハメになります。
それでも、寺の門まではようやく帰って来たが、上人はそこで息絶えてしまいました。
上人の植えた桜はそれを大変悲しみ、花弁が開きいれず内側20枚ばかりの花びらが閉じて咲くようになったといわれています。
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<3>鬱金桜
和名:ウコン(鬱金)
学名:Cerasus lannesiana ‘Grandiflora’
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黄金色の花を咲かせるサクラで、戦争中に空襲で焼失したり日本の気候に合わなかったこともあったりとほとんどの原木は消失してしまいました
4月中旬~5月上旬に、ウコン色(鬱金色)と呼ばれる淡黄緑色の八重咲き大輪花を咲かせます。花弁が香辛料のウコンに似た萌黄色になることから鬱金桜と名付けられたといわれます。
花色は開花時には黄緑色ですが、開花後、徐々に白くなり、最終的にはピンクになってしまいます。
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<4>寒緋桜
カンヒザクラ(寒緋桜)またはヒカンザクラ(緋寒桜)
学名:Cerasus campanulata (Maxim.)
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なんとも濃いピンク色の桜です。沖縄県で多くみられる品種ですが
日本で一番早く開花するサクラともいわれています。
キキョウ科の植物でカンパニュラに似て、下向きの花びらを咲かせる姿にちなんで
「艶やかな美人」という花言葉があります。
ここで、ヒガンザクラ(彼岸桜)はエドヒガンの通称で別種です。
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<5>陽光桜
和名:ヨウコウザクラ(陽光桜)
学名:Cerasus campanulata ‘Youkou’
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こちらの桜にも悲しいお話があります。
陽光桜は「里桜」の天城吉野と寒緋桜との交配によって作出されました。
作者は愛媛県の高岡正明さんで、戦時中は教師をしており生徒たちに「お国のために戦ってこい。またこの桜の木の下で会おう」と数百名の教え子たちを戦地に送り出しました。
しかし、教え子たちが次々と戦死したため、高岡さんは自責の念に駆られ鎮魂の旅に出、戦死した教え子たちの慰霊にと、教え子たちが命を落とした亜熱帯のジャワや極寒のシベリアなどでも花を咲かすことができる新種の桜の品種開発に一生を捧げる決意をしました。
そして、この陽光桜が生まれることになったそうです。
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ドラマのある桜ばかりでした。
日本人と桜はやはり切っても切れない深い繋がりがあります。
また、美しい桜と桜についてのお話しをご紹介できれば、 と 思いつつ桜を眺め、
心静かに(?)過ごしたいと思います。